サーファーが漁師に
サーファーの黒木さんは、京都市内に住んでいた頃、関西のあちこちにサーフィンに出かけ、京丹後市や舞鶴市へも足を運んでいたことから、宮津市のことも良く知っていたとのこと。
サーフィンをしながら目にした漁師は「面白そう」と感じていた黒木さん。漁師になる学校が始まるとの情報をつかみ、京都府や沿岸市町村、漁業団体などが運営する「漁業者育成校 海の民学舎」に、平成27年4月に入舎。1期生として漁師の基礎をみっちり学んだ。
現住地へは海に導かれました
海の民学舎は、2年目から実際に漁をされている方の指導で実習の段階へ移る。
黒木さんは、延縄漁の師匠がいる養老地区を選んだ。そこで1年半の間、順に3人の師匠から延縄漁をはじめとする匠の技術を学んだ。「京のブランド産品“丹後ぐじ”をはじめ、年間通じていろんな魚が獲れ、楽しい。今では、食べられないサメなどを加工し、ペットフードを作っています。少量の製造ですが、犬仲間に好評で」と顔をほころばせる。
移住後の本音
「人間関係は色濃いですね。仕事でも、暮らしでも、親身になってくれる人が多く、ありがたい。この間は、使わなくなった漁具をいらんかって声掛けてもらったり」と地域の様子をうれしそうに話す。
移住前と移住後で何かイメージが変わったことは、と問いかけると、「なんも変わりません。思ってたとおりです。でも自治会費が高いのはビックリしたなぁ。それと消防団の訓練が朝の早い漁師には厳しい」と本音を漏らす。
現在は、移住後に結婚された奥さんとお子さんの3人暮らし。奥さんも養老地区を、そして漁師を理解した上でこの地に来られたものの、出産時の病院通いと大き目のスーパーが少し遠いと話されています。
当たり前の喜びを身に感じ
これからの事を聞くと「溶け込んで地の人になる。普通に、漁業で生活できれば幸せなのかぁ」といたって冷静。
海のよさを「魚が釣れる喜び。太陽が昇る美しさ。自然の恵みを体で感じられる」と話される。一瞬、“当たり前”のこととして受け止めたが、その当たり前がこの地にあるのだと改めて認識した。
「近いうちにサーフィンを再開します」と、丹後の海を満喫する黒木さんだ。